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shake's COUNTRY LIFE
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カントリーライフ #11 買い物
家のそばで買い物ができるところはたった一件しかない。
2キロぐらい離れたところに、この近辺10キロ四方にたったひとつだけという信号のそばに農協が1件あるだけ。一番近いコンビニまでは10キロはある。
そのほかの買い物となると車で20分から30分はかかる。たいてい河口湖、富士吉田周辺か静岡方面に行く。
樹海や牧場を抜けて行くこの買い物ドライヴがとても気に入っている。
特に冬は空気が澄んでいてくっきりと雪をかぶった富士山の周りを回りながら静岡方面に行くと遠くで大きな海が輝いている。

昨日は新しいマグカップを買おうと思い、たまには甲府へ行ってみることにした。甲府はこの前、12才の時以来ライヴで初めて行ったけど、街の中心地までは50分ぐらいかかる。
甲府までの道は素晴らしく、何年か前までは有料道路だったところで、精進湖を抜けた後は延々山間の道を渓谷沿いにダイナミックに下ってゆく。
30分ぐらい行くと一気に目の前が開けて、遠く下の方に甲府盆地が現れる。
上から見ると真っ白な南アルプスやその他の山に囲まれて、本当に盆地なのがわかる。
甲府の街に入ると、昇仙峡16キロという標識が見えてしまって、どういうところかも知らずに急きょ予定を変更して行ってみた。
16キロならコンビニを往復するより近いので、俺にとってはすぐそばなのだ。
何も知らなかったけど昇仙峡はまるでアメリカの国立公園のようなダイナミックなところだった。
ごつごつした岩山がばーんと割れて、急流になったところに、直径20メートルぐらいの巨大な石がいくつも落ちて流されていて、自然の力のすごさを物語っていた。
ああいう大きな石を見ると人間の力ではどうにも出来ない怖さと、うれしさが突き上げてくる。
一番上が滝になっていて、そこから何キロも美しい渓谷が続いていた。
冬の平日で、店も休みで人もほとんどいなく、とても恍惚感をともなう気持ちの良いドライヴだった。

Shake
BIG LOVE
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by shake_countrylife | 2004-02-18 14:44 | 2004.1~3
2004.2.14
雑誌『ロックJET』の取材でDOORSについてのインタビューをやった。
DOORSは日本では売れないらしく、特集号は作れないので第2特集という形で1年間やることになっていて、その第2回目という事だった。

爆発的にパワーのある物が好きだった20代の時の反動で、30代の頃はDOORSやピンクフロイド、ニコなどのダウナーな世界にとりつかれ、暗黒の穴に引きずり込まれたまま過ごした。今はとっくに穴からも脱出して太陽と戯れているので、ほとんど聴くこともなくなったけど、取材のために思い出さなければいけないのもあって、都内に向かってドライヴしながら久しぶりに聴いてみた。

久しぶりに聴いたDOORSは強烈で、太陽が輝く中、暗くミステリアスな美しさに包まれて、おなかの下の方に何か黒い大きな真実のような物が突き上げてくる感じがした。
中央高速の山の合間を抜ける景色と蛇のような音楽が一体化して、運転しているのを忘れてしまいそうだった。

DOORSについては20代の頃までは『LIGHT MY FIRE』がちょっと良いぐらいで、あまり良さがわからなかったけど、その後LAに住んだということもあって、オリバーストーンの映画を見たりするうちにだんだんとリアルな存在になってきた。
60年代のLOVE & PEACEの風潮の中で、全く独自の個性を発揮していたこのバンドの水面下にある巨大な物を感じるようになると、音楽がいっきに凄い迫力で迫ってくるようになった。
その正体の分からないどす黒いうねりに取り憑かれた。

興味のほとんどはジムモリソンだけど、他の3人のメンバーもジャズやインド音楽が好きでビートルズよりも前にマハリシの瞑想道場で出会ったというところがDOORSの音楽を独自なものしていると思う。

その頃、自分ももっとリアルな物を作るために、音楽の外側に目を向けてみようと思い始めた時代だったこともあって、DOORSの音楽の中をさまよいながら、ジムモリソンを通してインディアンや、ランボー、ブレヒト、ニーチェなど自分なりに探求してみたりもした。
空っぽで何もないところのように思えた砂漠が、美しいと感じるようになったのもきっかけはジムモリソンだった。

個人的に30代前半は普通のロックやポップスがばからしくて聴けなくて、クラシックやインド音楽、ジャズ、ロックでも長くて暗い曲ばかり聴いていた。
『THE END』も毎日昼ごろ起きてブラインドをおろしたままの薄暗い部屋でよく聴いた。寝ぼけ頭で聴く『THE END』はまるでシャガールの絵のように砂漠の上をゆっくり飛んでいるようで気持ちよかった。

久しぶりにモリソンの穴の中に引きずり込まれてみると、そこは真実の結晶のような美しい場所であると同時にとても不幸せで危険な所だった。
もし今でもモリソンが生きていたとしら、とっくにそこにはいないだろう。
自分的には軽薄でいる方が人生は幸せなので、もうどっぷり浸かることはないだろうと思った。

Shake
BIG LOVE
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by shake_countrylife | 2004-02-14 14:43 | 2004.1~3
2004.2.8.
『キブツ』の講演会に行って来た。
講師は山中湖に住んで喫茶店もやっているという樋口範子さんというヘブライ語文学の翻訳家だった。

『キブツ』というのは戦後イスラエルというユダヤ人の国家が新たに出来たときに、ホロコーストなど過去のねたまれる原因になったいろいろな国での金権主義を反省し、理想的な人間本来の生き方をめざし建国にあたって考え出されたという国営の農場村だ。

樋口さんは東京生まれで田舎もなく、農業をやる事にあこがれていた60年代の終わりに、高校を卒業と同時にイスラエルへ行き『キブツ』で2年間農作業をして暮らした。その時の経験とイスラエルの歴史的状況と現状ををわかりやすく話してくれた。

当時、国中に600の『キブツ』があり人数は1000人前後。
そこでの生活はとてもシンプルで、朝は4時から夕方の4時まで農作業をはじめ、あらゆる事を住民で手分けをしてやる。
頭脳労働と、肉体労働の平等評価。
食事もとてもシンプルで一週間に分けてきっちりメニューが決まっている。
そして夕方から寝るまではみんなでダンスを踊り、映画を鑑賞し、おしゃべりをして過ごす。
『キブツ』の中ではすべての人が平等で、財産もお金の概念もなく衣食住はすべて配給でたばこなどの嗜好品を得るためのチケットがあるだけ。
代議士はいなく決めごとはなんでも全員参加の総会で決めるなど他にもいろいろあった。

理想的な社会主義国家のようでもあるけど、出入りは自由なので、どちらかというとヒッピーコミューンをまじめにしたような物のように思える。
その時代、人々はみんなとても豊かで喜びに満ちていたという。
最近、アメリカとかでも評価されているらしい。

樋口さんも『キブツ』で過ごした2年間はもっとも充実し、輝いていたと言った。
アポロが月に降りるところを、全員でたったひとつのテレビで一緒に見た感動が忘れられないと言っていた。

ただ最近は、それぞれ電話、テレビ、冷蔵庫を持つようになり、人々の絆が薄れてしまっているらしい。

もし自分がそこにいたらどうだろうと考えてみた。
きっとしばらくは素晴らしい時間が持てると思うけど、ギターも弾きたいし、一人でいること、人と違うことをするのが好きなので、そのうちどこかに行きたくなっちゃうだろうと思った。

Shake
BIG LOVE
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by shake_countrylife | 2004-02-08 14:42 | 2004.1~3